
縁起

651年建立の古寺 密蔵院 周遍寺
孝徳天皇の時代白雉2年(651年)法道仙人が、この山の北の峰に石に写した妙経一部全文を納め、経の尾と号し堂宇を建立したことにはじまるという古刹です。また、「広峰文書」によると1336年九州に落ち延びた足利尊氏を追う新田義貞軍をくい止めるべく、今川頼貞の軍が布陣したとあります。しかし、天正6年(1578年)羽柴秀吉軍の中国攻めの際、兵火にかかり伽藍を焼失しました。
長らく荒廃していましたが、天和2年(1682年)地元の里長高田六郎右衛門正恒兄弟らが中心になり伽藍を再興しました。その後、同山一院の密蔵院や地元の多くの方々のご尽力により幾度かの改修を重ね現在に至っています。 境内は、中央東向きに如意輪観音菩薩を本尊とする本堂や右隣の開山堂、庫裏西側の大師堂や磐座上の鐘堂などが建っており、その周りを四国八十八ヶ所めぐりが整備され、道中には高田六郎右衛門が寄進した石造多層塔などが残っています。 また、当寺に至る参道は、春は桜、秋は紅葉が美しく、境内からは遠く明石海峡大橋や淡路島などを望むことができ、歴史と自然豊かなハイキングコースとして加西観光二十選にも選ばれています。
加西市指定文化財
阿弥陀如来坐像 一躯
周遍寺理智院蔵 加西市
一木造 彫眼 古色 像高 五二・三cm
平安時代中期 (一〇世紀)
ヒノキの一木造で内刳はなく、膝部は定印を結ぶ両手先を含めて横一材で彫刻され、左右二か所の角柄で体部材の柄穴に差し込まれている。体部は適度な量感があり、翻波式衣文の彫りはやや浅くなっている。大きめの螺髪、厳しいなかに柔和さがみられる面相など、平安時代前期から後期への過渡期の特徴を示す平安時代中期の作と考えられ、神積寺像 (10) とともに定印阿弥陀像の古例として注目される。


住職あいさつ
はじめまして。周遍寺住職の朝野潤建でございます。
本来お寺は敷居の高いものではなく、みなさまがお悩みなどを気軽にお話しに来られる場所でした。周遍寺では入りやすいお寺、地域のみなさまに安心していただけるお寺を目指しております。小さなお悩みでも構いません。是非、当ページよりご連絡ください。
寺院概要 | |
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寺院名 | 密蔵院 周遍寺(みつぞういん しゅうへんじ) |
宗派 | 高野山真言宗 |
住所 | 〒675-2113 兵庫県加西市網引町831-42 google map |
電話番号 | 0790-49-0558 |
HP | https://shuhenji.com |
交通案内 | 北条鉄道「網引駅」、下車徒歩11分 お車の場合 中国自動車道「加西IC」出口から約20分 | 電車の場合