この世に生まれることが叶わなかった、小さな命。 その子のことを想い、誰にも言えない悲しみを、お一人で、あるいはご夫婦で、ずっと胸の内に抱えてこられたのではないでしょうか。
そして、時に「水子の祟り」といった言葉を耳にし、ご自身の身の回りに何か良くないことが起こるたび、「あの子が苦しんでいるのではないか」「自分たちが恨まれているのではないか」と、言いようのない不安と恐怖に苛まれてこられたのかもしれません。
この記事は、そんな深く、重いお悩みを抱えるあなた様のために、記しています。 どうぞ、少しだけ、心を落ち着けてお読みいただければ幸いです。
はじめに知っていただきたいこと。赤ちゃんが、祟ることはありません
まず、最も大切なことをお伝えいたします。 仏教の教えの中に、親を祟る水子の話は、一つとして存在しません。
仏様の元へと還った小さな魂は、大いなる慈悲の光に包まれています。親を恨んだり、不幸をもたらしたりするような、怒りや憎しみの心を持つことは、決してないのです。 「祟り」という恐ろしい概念は、私たちが自らの悲しみや罪悪感、そしてやり場のない苦しみから、後になって作り出してしまったものに他なりません。
もし、あなた様が今、何かの苦難の中にあるとしたら、それは決して、赤ちゃんのせいではないのです。 どうか、ご自身を、そして天国のお子様を、その恐ろしい言葉で縛らないであげてください。
では、なぜご供養をするの? それは「愛情」をかたちにするためです
「祟りがないのなら、なぜ供養が必要なの?」と思われるかもしれません。 水子供養は、何か恐ろしいものを鎮めるための儀式では断じてありません。それは、親として、人として、その小さな命へ捧げる、温かい**「愛情表現」**そのものです。
「あなたのことを、決して忘れてはいないよ」 「生まれてくることはできなかったけれど、確かにあなたは、私たちの大切な子だよ」 「どうか、仏様の光の中で安らかに、そして、また幸せな生を受けて生まれ変わってね」
そうした想いを、「ご供養」という祈りのかたちにして、天国のお子様に届けるのです。 お地蔵様(地蔵菩薩)が、子どもたちの守り仏であるとされるのも、そうしたか弱い魂を優しく抱きしめ、仏様の元へと導いてくださる、慈悲の象徴だからです。
そして、あなた自身の心が、救われるために
水子供養のもう一つの大切な意味。それは、誰にも言えずに苦しんできた、あなた自身の心を癒やすためでもあります。
中絶や流産、死産といった経験は、時として、誰にも理解されない深い悲しみと孤独感をもたらします。ご供養という場を持つことで、初めて、その悲しみを正面から受け止め、涙を流し、心の内に溜め込んできた想いを、吐き出すことができるのです。
「ごめんね」という謝罪の気持ち。 「会いたかったよ」という愛情。
その全てを、仏様の前で、手を合わせる中で、お子様に伝える。その行為を通じて、重く閉ざされていた心の扉が、少しずつ開かれていきます。
おわりに
あなた様は、もう十分すぎるほど、ご自身を責め、苦しんでこられました。 その苦しみを、恐れを手放し、温かい祈りへと変えるお手伝いをさせていただくこと。それが、私たちお寺の務めです。
水子供養は、いつから始めても、遅すぎるということはありません。 何十年と前のことであっても、気になさる必要はありません。
あなた様が、その重荷を降ろし、心からの笑顔を取り戻されることこそが、天国のお子様にとって、何よりの喜びであり、一番のご供養となるのですから。 どうぞ、お一人で悩まず、いつでも周遍寺にご相談ください。