諸行無常の教えと、墓じまい。執着を手放し、永遠の安心を得るという選択

「先祖代々のお墓を、自分の代でなくしてしまうなんて…」 墓じまいを考えるとき、私たちの心に最後に残るのは、このような罪悪感にも似た、重たい気持ちかもしれません。

しかし、仏教には、その心の重荷をふっと軽くしてくれる、深く、そして優しい智慧があります。 それは「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という教えです。

今回は、この仏様の根本的な教えに触れながら、墓じまいと永代供養という選択が、いかに私たちの心を解放し、本当の安らぎへと導いてくれるかをお話ししたいと思います。

かたちは変わる、しかし本質は変わらない

「諸行無常」とは、この世のあらゆるものごとは、常に移り変わり、同じ状態に留まることはない、という真理を説いた言葉です。 私たちの命も、草木も、頑丈に見える岩や石でさえも、悠久の時の流れの中では、絶えず変化し、いつかはその姿を変えていきます。

ご先祖様を祀ってきた、あの大切な墓石も例外ではありません。 「墓じまい」とは、この自然の理(ことわり)を受け入れ、変化していく「かたち」にこだわり続けるのではなく、変わることのない「本質」に目を向ける、という仏教的な実践なのです。

その本質とは、ご先祖様への感謝の気持ち、世代を超えて受け継がれる命の繋がり、そして、故人を偲ぶ温かい心。これらは、墓石があってもなくても、決して失われることはありません。

「執着」を手放すことで、本当の安らぎを見つける

私たちが墓じまいに踏み切れないでいる時、その心の奥底には、墓石という「モノ」に対する「執着(しゅうじゃく)」が隠れているのかもしれません。

「お墓を守り続けなければならない」という想いが、いつしか重荷となり、管理ができない自分を責め、苦しみを生み出してしまう。仏教では、この「執着」こそが、苦しみの根源であると説きます。

墓じまいは、その執着から自らを解放する、勇気ある決断です。 物理的なお墓の維持という役割を手放すことで、私たちは、より純粋な心で、ご先祖様との精神的な繋がりだけを大切にできるようになります。それは、ご自身の心を楽にするだけでなく、ご先祖様の魂をも、物理的な場所への束縛から解き放つことに繋がるのです。

永代の繋がりを象Cする、お寺という存在

では、あらゆるものが移り変わる世の中で、私たちは何を信じ、頼れば良いのでしょうか。 その答えが、お寺の「永代供養」にあります。

個々の墓石という「モノ」は無常であっても、お寺が日々絶やすことなく続ける読経の声、仏様の教え、そして「永代にわたり、責任をもってご供養を続ける」というお寺の誓願は、一つの大きな流れとして、永続していきます。

ご遺骨をお寺に託すということは、変化する「モノ」の世界から、変わることのない「法(のり)の世界」へと、ご先祖様の安住の地を移すことなのです。これこそが、本当の意味での「永遠の安心」と言えるでしょう。

おわりに

墓じまいとは、何かを失う行為ではありません。 それは、諸行無常の真理を受け入れ、執着を手放し、より本質的で、永遠の安心に繋がる供養のかたちへと移行するための、尊い仏道修行の一つです。

周遍寺が、皆様のその尊い決断に、心を込めて寄り添わせていただきます。

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