「家の中に、なんとなく良くない気配を感じる」 「原因不明の不調や、不運が続いている」 「もしかしたら、成仏できずにいる霊が、何かを訴えかけているのかもしれない…」
そのような、言葉にし難い不安や畏れを、誰にも相談できずに、お一人で抱え込んでおられませんか。 その正体の分からない存在に、ただ怯える日々は、本当にお辛いことと存じます。
しかし、どうかご安心ください。 仏教の道は、その不安と向き合い、自らの手で「安らぎ」へと変えていく、確かな智慧を私たちに示してくれています。
不成仏霊とは? 恐れるべき存在ではなく、救いを求める魂
まず、ご理解いただきたいこと。それは、一般に「不成仏霊」や「浮遊霊」と呼ばれる存在は、私たちに害をなそうとする、恐ろしい悪霊などではない、ということです。
仏教では、それらの魂を**「救いを求めて、この世をさまよっている、苦しんでいる魂」**であると捉えます。 この世への強い未練や執着、あるいは、供養してくれる縁者がいないといった理由から、次なる世界へと旅立つことができずに、迷子になってしまっているのです。
もし、何かを感じるとすれば、それは魂があなたを呪っているのではなく、自らの苦しみに気づいてほしくて、必死にサインを送っているのかもしれません。赤ん坊が、お腹が空けば泣いて知らせるのと同じです。 ですから、私たちが向けるべき感情は、「恐怖」ではなく、「慈悲」と「憐れみ」の心なのです。
「ご供養」の力。魂が還るべき道を照らす、慈悲の光
では、その苦しんでいる魂を、どうすれば救うことができるのでしょうか。 その唯一にして最大の道が、お寺で行う「ご供養」です。 これは、霊を無理やり追い払う「除霊」とは、根本的に異なります。
- 読経の力 僧侶が唱えるお経は、仏様の「真実の言葉」です。その教えは、迷える魂にとって、進むべき道を照らし出す灯台の光となります。お経の功徳によって、魂は自らの執着から解放され、安らかに光の国(浄土)へと旅立つことができるのです。
- 廻向(えこう)の力 皆様が、その魂の成仏を願い、手を合わせる。その清らかな祈りの心、そしてご供養によって生まれた「善い行いのエネルギー(功徳)」を、迷える魂へと手向け、その旅立ちを力強く後押しすることを「廻向」と言います。
ご供養とは、迷子の魂に「こちらが安らかな世界ですよ」と地図を渡し、旅の支度を整えて、優しく背中を押してあげるような、慈愛に満ちた行為なのです。
あなたの「思いやり」が、何よりの供養となる
お寺でのご供養もさることながら、あなた様ご自身が、その魂に対して「どうか、安らかに」と、思いやりの心で祈りを捧げることが、何よりも大切です。
「恐れ」の心は、相手を警戒させ、かえって事態をこじらせてしまうことがあります。 「どうか、苦しみから解放されますように」という「慈悲」の心が、相手の魂の頑なな心を解きほぐし、素直に仏様の光を受け入れる手助けとなるのです。
おわりに
もし、目に見えない存在への不安に苛まれているのなら、もうお一人で怖がる必要はありません。 その不安を、仏様の智慧と、あなた様の慈悲の心で、温かい「ご供養」へと昇華させていきましょう。
周遍寺は、皆様が抱えるその深いお悩みに、真摯に耳を傾け、全ての魂が安らぎを得るためのお手伝いをさせていただきます。 どうぞ、安心してご相談ください。